AIに代替される前に―士業の価値とは
AIが示した「知識だけでは足りない」という現実
近年、「AIに最も代替される職業」としてしばしば税理士が挙げられる。
定型的な記帳業務、計算、申告――こうした作業がAIに置き換わるという指摘は、技術的には確かにそうだろうと納得する。
制度や法知識は、いまや誰でも検索できる時代だ。
税法も民法も登記制度も、AIに尋ねれば多くのことがわかる。
だが、情報そのものでは人は救われない。
知識ではなく、届け方が問われる
本当に必要なのは、「誰に」「どの情報を」届けるかという判断である。
たとえば、同じ制度でも、脱税を考えている人に提供すれば犯罪を生み、
生活に困っている人に提供すれば、人を救うことになる。
制度の背景、状況の文脈、当事者の置かれた立場――
それらを踏まえた上で、その人にとって必要な情報を、必要なタイミングで、責任ある形で届ける。
それは、士業が士業たる所以の、高度な倫理感が問われる判断である。
そしてその倫理観は、自分の名前で実務をこなしてこそ、初めて身に付いていくものである。
「補助者丸投げ構造」が士業を劣化させる
昔から、どの士業にも見られるのが、
補助者が制度の説明や判断を行い、資格者は補助者を管理する者として後方に控えるという体制だ。
それは問題視されながらも、常に一定数存在してきた。
彼らは、資格制度が保障してくれる信頼や特権を利用し、
士業を“看板”として使いながら、士業の仕事で最も収益性が低い相談対応業務を無資格の人材に任せてコストを下げる。
そして、量をこなすことで法人を大規模化してきた。
効率性と収益性が最優先され、倫理や説明責任は後景に追いやられる構造である。
彼らは、資格制度を“利用するだけ”の発想に立ち、
自らの法人の無資格者を「並の同業者よりも知識と実務経験がある」とうそぶき、
依頼者の対応を丸投げしているのが現状だ。
自分の名前を出して初めて芽生える倫理観
しかし、補助者の経験がある身からすれば明らかだ。
いくら実務経験を積んだところで、雇い主である資格者を盾に、その資格者の名前――すなわち他人の名前で仕事をしている補助者に、士業としての倫理観が育つことは決してない。
どの士業も、資格を登録して初めて「自分の名前」で業務を行ったとき、
誰もが目が覚めるような強烈な緊張感を味わうはずだ。
その後も、何度となく「自分の名前で書類を作る」たびに、
また別の形で緊張と責任がのしかかってくる。
この経験を通じてこそ、倫理観は芽生え、育っていく。
士業の価値とは何か
その倫理観こそが、士業の本質であり、存在価値であり、依頼者に提供されるべきものだ。
それに気づかなければ、士業は必要とされなくなり、補助者でもできる単なる情報提供業者に落ちぶれていく。
そして、間もなくAIに置き換えられていくだろう。
今まさに、士業はその岐路に立っている。
